星 姫 - - - 短編
見上げる夜空と傍らのぬくもりと

ふるり。ふるり。

背から這い上がってくる寒気に体が震える。
凍えるような冬はとうに通り過ぎたと言うのに、夜になればまだ底冷える寒さが肌を刺す。
霧の多い国なのだからそれも一入だ。
寒気を吸い取った霧が直接顔面を痛めつける。
地味に痛い。

「・・っくしゅ」

肩に掛けられた毛布を手繰り寄せる。
屋外と言うのももちろんあるが、一軒家の屋根の上は言わずもがな風当たりは強い。
無断で人さまの屋根の上に腰掛けて、ぼんやりと空を見上げる。
遮る物のない高所で、吹き抜ける冷たい風は彼女の髪を簡単にもてあそぶ。

・・はーぁー・・・

口から吐く息の白さに戯れてみる。
吸い込む空気はロンドン独特の甘いような淀んだような味がする。
工業が行き届かない地方の田舎とは全く違う。
向こうは草木の青臭いにおいがする。
望郷に馳せるような思いなど、とうの昔に去ったものだけれど―――。

「いないと思ったら、まぁたこんな所に来ていたのかい?」

「あぶ!?」

気配なく、背後から覆いかぶさる体温と気だるげな声。
ヒッヒッヒと引きつった怪しい笑い方をする知り合いなど一人しか知らない。
と己の名を呼ぶ男は、確かに誰よりも心を許している者である、・・が。
ジワリジワリと首と腰に回る腕の力は強くなってゆく。

「?!ぐんん?っはな、し・・」
「ヒッヒッ・・??小生との約束はもう忘れてしまったのかあい?」
「っむふ!?」

男の夜色の外套が鼻から下を覆い隠し、耳元に吹きかけるような問い掛けは咎めを含んでいる。

彼の視界に映るのは娘の柔肌。
白磁の頬や耳に薄らと色づく朱色。
寒さのせいかとそこに自身の唇を押し付けた彼は、びくりと反応を示すの姿に口元をにやりと歪めた。
背後から抱かれる本人に、彼、葬儀屋の表情を窺うことは出来なかったが。

「小生が仕事中の時は?」
「てひゅはなふてもひひ(手伝わなくてもいい)」

「然り。そのかわり、が出かけるときは?」
「いひひゃひをいふ(行き先を言う)」

「ん?んー。何か言うことは?」
「ぷはっ・・・ご、ごめにゃ・・しゃい」

ようやく緩められた腕から大きく息を吸い込む。
窒息なんてさせるつもりはないはずだが、顔に怒気を示さない分こうして態度で示す葬儀屋。
腕の力は緩んでも、腕で囲い込むような甘い拘束は緩まない。

「ごめん」
「・・いいよぉ。お客さんの相手して気づかなかった小生も不注意だったしねぇ」
「あなた・・」
「今日も星見。ヒッヒッ・・・凶兆でも現れたかい?」
「霧の都で星空など、たかが知れてる」

葬儀屋はがひとりで住処を抜け出してきたこと自体を咎めはしない。

ただ傍にいることが当たり前で、前触れなく視界からその姿を消すことが嫌なだけだ。
今回は勝手に行動したが悪い、と一方的に決めつけているのだろうが。
過保護にも程がある。

緩い腕の囲いの中で振り返り、愛しい顔と向かい合う。
一瞬視線を絡ませて、は自然の流れの様に首筋に額を擦りつける。
温もりを分ける様に、肩から掛けていた毛布と一緒に広い背中に腕を回す。
ゆったりと着こなす夜色の外套の下は神父服だが、背が高いくせに引き締まった肉体は男性的で硬い。

「今夜のは甘えただね?ぇ?」
「帰る。寒いし眠い」
「お月見はいいの?」
「いい。帰って寝たい」

夜の気温は明け方の直前が一番寒い。
少し前よりも確実に強くなる寒さに、今度はが葬儀屋の腰にぎゅうっと抱く力を強める。

一肌恋しさよりも寒さが上回った故の行動であるのだが、頭上から降ってくる怪しい笑いは更なる怪しさを含んでいく。
同時に自分の腰に回っていた手がするりと臀部を撫で上げる。

「・・・・・・」
「ヒッヒッヒ」
「・・・ナニその手」
「分かってる癖にぃ?」

「ちょ・・っ!」
「寝るんだろう?いいよぉ小生と寝ようねえ。じぃっくぅり・・」
「い、意味ちが・・・私は普通に・っ!」

じっくり寝るとは一体何だ!?
問いたいが、その後のセリフも展開も予想出来過ぎてかえって口を閉ざした方が無難だと悟る。
尻を撫でる手は止まらないが。

「アレから大分経つのにねぇ。まだ、淋しいかい?」
「・・・あなたがいることで淋しいなんてないよ」

過去の記憶が頭をもたげる。
幸せなこともあったけれど、狂ってしまいそうなほど辛いこともあった。
幸福な記憶よりも自身に爪を立てた忌まわしい記憶のほうが鮮明に思い起こされる。
なんと皮肉な事か。

「あなたが好きだ」
「知ってるよ」
「この発展した国の濁った夜空を見ると、故郷の夜空が懐かしくなる」
「・・うん」
「でも、それだけだ」

そう、それだけ。
恋しいのではなく懐かしいのだと。

自身に言い聞かせるように紡がれた言葉。
葬儀屋は静かに長い銀の髪を撫ぜる。
慈愛に満ちた優しい指遣いには眼帯のされていない右目をうっとりと細めた。
この腕が、この存在が自分の全てだと居場所だというように。

「私が、忘れないだけだ。もうこの世に存在しない故郷も、美しい夜空も」

忘れられないのではなく、忘れない。
それらは確かにに傷を与えたものであるが、決してそれだけではないことを彼も知っている。

隻眼の銀灰色が再び空を映す。
工業排気の所為で微弱な星明かりは消えて。
突出しない数多の平凡な光を描けない天空のキャンバスは、都会(ロンドン)の世知辛さをそのまま表しているよう。
ニヒリズムのこの国で、生きていくために必要なのは強かさだなと、どうでもいい事を考える。

「・・・あなた」
「帰ろうか」
「うん」

慰めるような小さな口づけを額に受けて、名残惜しさも残さずに踵を返した。
頭上の星々が控え目な光を宿し、静かな闇の中で夜明けを待つ。
物言わぬ星屑だけが、闇夜に溶けて姿を消すふたりの存在を見送った。

我が家の葬儀屋さんはセクハラ万歳。
お尻を撫でるのが好きなのです(゜-゜)