「―――さあて。勝手に喋ってくれた彼らの情報から考えれば、やっぱり森かなあ」
夜も更けた頃。
葬儀屋は静まり返った村の裏道をふらりと歩いていた。
グロッソの屋敷を出た彼は、取り敢えず自分で言った通りに宿にこもり人が寝静まる夜更けまで待つ事に決めた。
そもそも不振な点の多すぎるこの村で平穏に過ごす事に影がさしてしまったのだ。
ある程度の状況把握は必須とみて、取り敢えず何かありそうな『帰らずの森』に視点を置いた。
「ホントやになっちゃうねえ」
人知れず愚痴る葬儀屋。
黒い神父服に黒い外套をゆったりと纏う色彩は闇に溶け込みそう。
だが、黒いハットの下に隠しきれない長い銀髪は己を主張する様に葬儀屋の背中に降ろされている。
黒と銀のモノトーンがある意味彼の葬儀屋たる印象を濃くする。
尤も、目を隠すくらいの外跳ねの前髪や複数のピアス、黒く染めた長い爪を見るあたり、胡散臭さを助長するばかりで神父服の似合う静謐さは欠片もないが。
そもそもただの遺体のすり替えで葬儀屋は動いたりはしない。
そう、彼は知ってしまった。
グロッソの妹だと、寒く薄暗い部屋で対面した『フロア』は別の人間であると。
言われていた年齢からして違っていたし、手渡された写真でそれを確信した。
野犬の牙や爪で引き裂かれて、特に顔の損傷が激しく一般人では判別がつかない状態。
残された特徴や行方不明者リストからフロアと特定したのだろうが、葬儀屋にはソレが誰だかは分からなくても別人だと判断できる。
「こーいうのは闇の貴族とかがやればいいのにさあ。こう、行動的なのは小生には合わないよ」
愚痴愚痴とこぼれる葬儀屋の声を聞く者はない。
それでも事態の把握を行わなければ、危険も不信感も拭えない。
味方は自分しかいない上、動けるのも自分だけ。ああ、本当に猫の手も借りたい。
夜の森のなんと不気味な事か。
樹木の集合地帯というだけなのに奥に行くに連れて薄暗くなる上、生ぬるい空気は木々の隙間から生き物が呼吸している様な印象を受ける。
手入れもされない木々は好き放題にねじり伸び、目印の役には到底なれそうにない。
さらに悪い事にザクリザクリと乾燥した落ち葉の上を歩いていたというのに、ある程度歩くとふかふかした腐葉土の所為で足音がほとんど吸収されてしまった。
「・・・・これは」
つまり柔らかい上に弾力性も持つ腐葉土は自らの足跡さえも消し、帰還への道をも断つ。
それは遭難を意味する。
「迷った」
結局、葬儀屋も例に漏れなかった。
もう少しグロッソの話を聞いていればよかった・・・とは微塵も思ってない。
むしろ非常食のクッキーを持参していて良かったとは思ったが。
「(何かしらの気配は感じるんだけどなあ。警戒してる様子だけど襲ってはこないし・・・)」
持参した骨壷の容器から一本の骨型クッキーを取り出しバリバリと食す。
まさかヘンゼルとグレーテルの様な愚行を此処で犯すつもりはないが、方向感覚も麻痺してしまう様な鬱蒼とした森でさてどうしようと考えていたときである。
風向きが変わった。
くんと鼻先を掠めたのはジメジメした腐葉土とは違う、もっと青臭い若葉のにおいだ。
葬儀屋は口に含んだクッキーを消費しながら、考えるとも無しにふらりと方向転換する。
風が運んできたにおいの元へと―――。
―――・・・。
日が沈めばこの広場はのテリトリーとなる。
中心にある湧き水の池は昼間は動物たちの水飲み場であるが、寝静まるもの、若しくは狩を開始するもの達の時間帯になれば誰も此処には近づかない。
弱肉強食がルールである森にも暗黙の了解と言うものがある。
人の手が行き届いたこの広場で、眠るを妨げようなど。それは自らの寿命を縮める事と同義である事を知らぬものは無い。
この森の住人であるならば―――。
だがしかし暗黙のルールを無視し近づく気配があった。
娘は穏やかに上下する肩を揺らし、池の傍らで獣の毛皮や鳥の羽根にうもれ、子供のように丸くなっている。
男は音を立てぬ様気配まで消して娘の傍らにしゃがみこんだ。
白銀の髪を星砂の様に散らし、月光に晒された肌は青白く妖しい。
神秘的なそれはさながら、
「女神・・・いや、」
それよりももっと手を伸ばせば届きそうな、堕天にも近しい、
「魔女、かな?」
「誰が魔女か」
思っていた以上の明確な切り返しに、葬儀屋は内心驚きながも面白そうなものを見つめる様に口元を笑みで歪めた。
娘はパチリと瞼を持ち上げ、体勢を変えず布に隠されていない銀灰色の右目だけでギロリと見知らぬ男を睨めつける。
「人がなぜ・・・いや、それはどうでもいい。帰れ今すぐに」
「うーん、出だしから辛辣だなあ」
白銀の娘は気だるげに上半身を起こし、銀髪の黒い男には取り付く島も与えず言い募り、追い出そうとする。
白磁の手のひらを前に突き出し剣呑な表情を浮かべるはジリジリと男と距離を取る。
しかし彼女の警戒も素知らぬ顔で、葬儀屋はしゃがみこんだままジリジリとににじり寄って行く。
「お前は迷い人か?悪い事は言わない。直ぐに此処を去れ」
「ねえねえ」
「・・・今、この森は気が立っている。捕食動物どころか穏健な奴らからも襲われかねない状況だ」
「君はこんなところで何をしているんだい?」
「・・・聞け、外へは私が送ってやる。だからお前は」
「あれ、もしかして此処に住んでるの?」
「お前には耳は無いのか!?」
噛み合わない、というか一方的な質問で噛み合わせない様にしてくる怪しい男にはキレた。
こちらが気を遣って無駄な詮索を避けようとしていたのに。
勝手に入り込んだ挙句に自分を魔女と称したり、なんて図々しい男だと。
「ねえ、小生とお話しないかい?」
「する必要は無い。帰れ」
「じゃあ、君の名前は?」
「教えてどうする。さっさと去れ」
「あ!そうだね、小生は葬儀屋(アンダーテイカー)」
「聞いてない。なんだその得意そうな顔は」
「むーん」
「アホか、むくれるな」
それでも立ち向かってくる葬儀屋にとうとうから暴言が飛び出す。
が本人はどこ吹く風。
腕一本の距離はそのままでも、が諦めて下ろせばさらに身を乗り出さん雰囲気だ。
お互いに無駄な干渉をする事で面倒事回避を図ろうとしているの意図を知ってか知らずか。
「(・・・このままでは押し負けそうだ。仕方ない)」
口で言っても無視されてしまうのならば直接その目で危険を自覚させてやるしか無い。
男は神父服を纏っているが、それ以外はどうにも聖職とは程遠い。
長めの袖口から覗く黒く塗られた長い爪や、目が隠れるほど長い銀髪とか、首回りや顔を横に横断する傷跡。・・なんだそのピアスの数は。
などなどツッコミどころ満載、怪しさ爆発。
ぱっと見は変質者。
そんな男でも、人外の娘を見れば逃げ出してくれるだろう。
というか、逃げてくれないと困るのだ。
最後の警告のつもりでもう一度「帰れ」と言っても不思議そうな顔をする。
何故かと理由を欲してくる。
彼はこんなところにいる娘が珍しいのだろうけれど、それは本人のにとっては出会ったばかりの赤の他人に答える必要性も無い事だ。
「・・・わかった」
「うん?・・うおぅ!?」
白く小さな手のひらが葬儀屋の頬を包み、やや強引に目の前へと引き寄せる。
の灰色の瞳の奥でキラキラと輝く様な虹彩は、まさしく見る者を惹きつける魔力を持っている様で。
葬儀屋はまじまじとそれを見下ろした。
「だがやはり帰れ。お前はこの地では招かねざる客だ」
「・・・・君は優しい子なんだねえ」
「・・・目を、逸らすな。お前はこれを見て、」
恐怖も嫌悪も一時の事。
この男が村へと逃げ帰り騒ぎ立ててくれれば、この地もまた暫くは平穏を取り戻す。
昔の約束に従い帰らずの森への干渉さえ無ければ、人間の住む地に我々が踏み込むこともないのだから。
は左目に巻かれた布に手を掛けた。
片手は葬儀屋の頬を固定させたまま、空いた手でするりと布切れを引き下ろし。
相手にその異端の瞳を突きつけるように睨み付けた。
―――銀の虹彩が入った灰色の右目と、紫水晶をはめ込んだ様な獣の瞳孔を持つ左目。
片方は人の持つそれであるというのに、彼女の隠していた左目は狼の様に瞳孔は縦に長い。異形のそれ。
「これがお前の言う魔女であるならそれも良い。私は己の種を化け物と言う以外、どう呼ぶのか知らないからな」
己を皮肉るように喩え笑みを浮かべる。
無邪気で妖艶で背筋が凍るような冷笑を。
「(これで、いい)」
心の中で自分に言い聞かせる。
自らの異端を曝し、卑下することには慣れているから。
彼女は静かに目を伏せると葬儀屋の頬を固定していた手を下ろし、彼から少しでも離れてやろうと立ち上がった。
異形を見せ付けられ、言葉を失ったのか男はを視線で追いかけ、
「ま、待った!」
「え?」
突然夢から覚めたかのようにはっと目を瞬かせ、勢いよくがばりと立ち上がった。
何事かともきょとんとしている。
「・・あ・・・・・・・。えーっと、君に不思議な魅力があるのはわかったよ」
「・・?分かってない。何の話をしている?」
何故か葬儀屋はしまったとでも言うように、手のひらで自分の口を覆い。
次には挙動不審にあたふた。
には理解出来ない言動まで出てくる始末。
多分葬儀屋自身が己の行動を理解していないのではないか。
「や、・・小生は、ただちょっと吃驚しただけで。・・・君の目はとっても綺麗だ!本当に!」
「・・・・は」
「あ、いやいや。・・・つまり言いたい事はそれでは無くってね。あーっと・・」
「・・取り敢えず、落ち着け。・・・ほらこれをあげるから」
しどろもどろな様が何故か可哀想に見えてきて、彼の手のひらに飴玉をコロンと転がしてやった。
それまで邪見にしてきたの様子が変わったせいか、こんな森では無縁な甘味に驚いたせいか。
まあ、明らかに娘の方は飽きれていたわけだが。
とにかく前髪で表情が定かで無い男の様子は、しかし見るからに落ち着きを見せた。
「・・・花の蜜で作った飴玉だ。害はないが食べなくてもいいぞ」
「う、うん、ありがとう」
可愛く無いセリフを吐かれたが、男は嬉しげに飴玉を口に含む。
そして何故か彼の手にしていた骨壷から取り出したクッキーを押し付けられた。
「ご馳走さま。これはお礼」
「・・普通魔女かと疑う女から貰った物を口に入れるか?」
「そう言う君も小生のクッキー食べてるけどね」
「・・・・・・30年振りなんだ仕方ないだろう」
焼いた小麦と砂糖の香ばしい匂いを味わう様にもそもそと食べる彼女はまるで小動物だ。
だがそんな様子に心癒される隙など与えられず、葬儀屋は聞き捨てならない言葉を反芻した。
「・・さんじゅう、ねん?」
気の遠くなるような時間だなあ。
いやいやそうではなく。
困惑する彼に娘はあっさりと追い打ちをかける。
「聞き違いではないぞ。私はこの帰らずの森に31年と152日住んでいる」
「・・・ちゃんと数えてるんだねえ」
情けなくもそう言うしかない。
冗談にしては設定が細かい。
しかも浮世離れした彼女の雰囲気が妙に納得させた。
村の剣呑な雰囲気が妙で森に入り込んだのに、出会ったのは片目が異端の白の魔女。
追い出そうとしているくせに妙にお人好し。
自称帰らずの森に30年在住。
見た目は見積もっても20歳前後。
ある意味謎に迷い込んだ葬儀屋ひとり。
(最近の子は若作りがスゴイのかなあ・・)
(・・・・お前、変人って呼ばれないか?)