「よろしいですか。ファウスト様にご迷惑をお掛けしないように」
「お忙しい方だから、我が侭ばかり言ってはいけませんよ」
「お手間をお掛けするようなことは控えなさいね」
同じような内容に内心辟易しながら、はじっと見送りに出ていた彼女達を見上げた。
しかしこれまで数年の付き合いと同様、彼女らはの真っ赤な瞳をまともに見ることは無かった。
メデューサでもあるまいに。もちろん誰もこの幼女と目を合わせたからと言って石化などしない。
それは人らしからぬ色を持つ彼女を異とし、それ故にこれまで敬遠していたから。
そしてそんな娘を引き取ると申し出た施設の援助者であり正十字学園の理事長を務めるヨハン・ファウストに対してもまた、「金持ちの考えることは、分からない」と周囲の人間の心情を複雑にしていた。
「おせわに、なりました」
笑顔ではなく、沈んだ表情でのお見送りの顔ぶれは少ない。
皆大人ばかりで、施設にはしかいないわけではない筈が幼い見送り人は一人もいない。
第三者から見れば心配から言い聞かせる大人達と施設を離れる幼い女の子。
しかしその実、疎んじていた娘が施設を去る事でほっとする反面、その引き取り先が自らのパトロンだという事実がその心情を複雑にしていた。
「さあ、参りましょう」
「はい」
振り向けば、ピンク色という明らかに特注と言えるリムジンの傍らに立っていた、更に白衣の王子と道化を足して二で割った様な水玉ピンクのスカーフを巻いた男がシルクハットの鍔を上向かせて恭しく上体を傾けた。
西洋の紳士がするような挨拶芝居じみた所作だが、どちらかと言えばの視線の高さの所為で膝下のピンクと黒のストライプタイツの方が目を引いた。
「お手をどうぞ、レディ」
変わらぬ笑みのまま、ヨハン・ファウストと名乗る、本名メフィスト・フェレスは小さな手を引いてリムジンの中へと誘う。
手を引かれた幼女は一瞬戸惑ったように男を見上げるも、慣れない足取りで車内へと入った。
そして、この奇妙な二人は振り返ることなく施設を後にしたのだった。
育った環境ゆえにまともに車も乗った事のないは、想像以上に広いリムジンという車に戸惑ったように奥へと首を伸ばし、その次には一体どこに座ればいいのか逡巡する。
そして入ってすぐの席に、窓に背を向けるように座る、というかよじ登った。
片手で数えられる幼く小さな身体は革張りのシートに容易く埋もれてしまう。
「・・んしょ」
リムジンが発進してからも、しばらく座り慣れない心地から何度か座りなおす。
ようやく落ち着いてから紳士の方へと視線を向けると、どうやら彼はの行動をずっと観察していたようで楽しげな笑みを浮かべていた。
微笑ましい少女の拙さを見やるには、一物を抱えているようなソレ。
メフィストはドアに近い、運転手と背中を合わせるように席の真ん中に主が如く鎮座している。
腕も足も組んでじーっとを観察していたようだ。
「・・・あ、これからよろしく、です」
「はい、こちらこそ!今後は親しみを込めてメフィストと呼んでくださいね!もちろん、他人行儀に無理に敬語も使わなくていいですよ」
そう言えば彼とまともに挨拶していなかったなと思いだし、ぺこりと身体を傾けたに、男はにこりと穏やかとは言い難い笑みを浮かべた。
「めふぃ・・?」
「ああ、ヨハン・ファウスト五世も私の名前ですが、本名はメフィスト・フェレスと言います!長い付き合いになりますからね、改めて自己紹介しましょう」
「めふぃしゅ・・めふぃ・・・・はい、メフィー」
「ぶっ、メ、メフィー!?」
のキョロリとした瞳は一瞬ゆらりと揺れてから、自らが考えた愛称で彼を呼んだ。
単純にメフィスト・フェレスという固有名詞が発音できなかっただけだが。
しかしその表情は若干すまなそうなもので。
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・めふぃしゅ、・・・う・・」
「・・・・・ぐははっ!」
しばらく二人は無言で見つめ合った。
そしていつかの如く我慢を放棄したのはメフィストだ。
精神的な成長は歳不相応でも、滑舌は拙いの身体は他者とのコミュニケーション不足も相俟った結果だろう。
幼子の赤い目が微妙に悲壮感漂っているのが、メフィストの笑いを誘う。
「ぶははははっ!(可愛い!何この生き物!?)」
そして庇護欲までそそらせる効果も持つらしい。
血色の瞳が潤んで飴玉の様に見えた気がしてさらに面白い。
数日前のメフィストは衝動的にこの子供を引き取った様なものであったのだが、後になって自分が人間の幼い子供を引き取ることに若干の憂鬱さを抱いていたのは事実である。
精神的な成長スピードは保障されているようなものだが、子供の世話は面倒なものだと思っている彼にとって、普通ではない彼女との生活ならもしかしたらと、人間臭い希望的観測まで抱いてしまう。
だからこそ、この娘は自分の退屈を紛らわせてくれると期待してしまうのだろう。
「メフィー・・・・」
とうとうジト目で迫力の無い愛らしい表情で睨んできたに向き直り、メフィストはようやく幼女をあやそうと小さな頭を撫でてやる。
飴色のさらりとした髪が星砂の様だ。
「ふふふ、すいません。お祝いに何かプレゼントしますよ、お詫びも兼ねてね」
「お、お祝い・・・」
「ええ、今日から私が後見人ですが、言わば家族になるワケですからね!」
「か、ぞく?」
ソレまで無縁だっただろう言葉の羅列にの肩が震える。
そんな彼女の経歴をメフィストがもちろん知らない筈がない。
親がどういうものかを理解する前に死別し、特異な容姿ゆえに共同生活してきた施設の子供達とは当然の如くなじめなかった。
見送りしてくるれた大人達の中に心から彼女を送りだそうと思ってくれる者もいなかった。
の容姿も「目」も「歪み」も享受し、自らの意思で彼女を引き取ってくれたのはメフィストが初めてなのだ。
「さあさ!遠慮せずにリクエストしてください。私リッチですからね!」
「う」
なでなでと、小さな頭を撫で続ける大きな手の平に身をゆだねながら、は困惑した目で「お祝いとはなんだ」「プレゼントってリクエストできるものなのかな」と悶々としていた。
子供らしからぬ思考に沈みそうになるのを何とか耐えて、はじっと不思議な色を持つ男を見上げた。
「(夜明け前の、太陽が昇る前の空みたい)」
大げさな所作で紳士の様な振る舞いを見せる男だが、そのうぐいす色の目は波紋の無い水面の様だ。
しかしを撫でるその手は丁寧で、おもむろにその手に幼い小さな手の平を重ねた。
「おや、決まりましたか?」
「・・・ん、うん」
見上げる深紅にメフィストは口元に笑みを浮かべ、己が可愛い養女は一体どんな要求をしてくれるのかと内心期待もしていた。
桜桃の唇がさえずる。
飴色の髪の間から除く深紅が不安に揺れながらも、真っ直ぐ自分を映す様は気分が良い。
「手をつないでても、いい?・・です、か?」
「・・・・・・はい?」
男の表情が固まった。
え、何この子。それプレゼントじゃ無くね?
「・・・え、それだけ?」
「う?・・じゃ、じゃあ・・おとなりに、座ってもいいですか?」
「いえ、そうじゃなくて・・・・・・・。まぁ・・・いいですけどね」
「っ!」
戸惑いを含めた諾の返事を受けた途端、の表情が一変した。
青白い頬は桜色に染まり、深紅の双眸は潤み、桜桃の唇はポカンと開いた。
歳不相応に無感情だった娘の、感激と言うものを目の当たりにしたのはメフィストだけ。
そしてその劇的変化に驚愕し、何故か小さな感動と達成感を得た気がしたのもメフィストだけだった。
にやける口元を手の平で隠す。
「・・・・・なんか、私、『萌え』がどういうものか分かった気がします」
「もえ?」
「え、何この子。天然成分で出来てるんですか?」
「せいぶん・・・ってなに」
顎に手を当てて、独り言を言いだした男を見上げては彼が一体何の話をしているのか分からず小首を傾げた。
小動物の様な(言い得て妙だが)が己の淀んだ思考に介入する前に、メフィストはさっさとその華奢な身体をすとんと自分の膝に乗せてしまう。
すらりとしているが高身長のメフィストの足に幼女を乗せた所で、テディベアを乗せているような体格差だ。
足を組んだ上に彼女を乗せてもまだ互いの頭の距離は近いとは言い難い。
しかも、乗せられた本人は何故か若干不満げだ。
膨らんだマシュマロの頬に口が若干への字になっている。
「(・・・何でしょうかこの生き物)」
本日二度目の同意。そして続く「萌え」の二文字。
彼女の不機嫌の理由は分からないが、彼の本質が本質なだけにそのむくれ顔に嗜虐心がくすぐられた気がする。
え、なにこれ可愛い。面白い。
「(あれ、私ロリコンでしたっけ?・・・まあ、いっか)」
人間的に良くないが。まあ、悪魔だしみたいなノリで自己完結。
ここに可笑しな方面に片足突っ込んだ、軽く街一個治める悪魔な権力者が誕生した。
残念なことに今ソレに気がついた者は、本人も含めていない。
本当に、残念なことに。
(どうしたんです?(頬っぺたぷにぷに))
(手、つないでって・・・言ったのに)
(・・・・・・)
(だ、だめだった・・ですか・・(しょぼーん))
(いいッ!(親指グッ!))
(え)
(もう一回お願いします!涙目!上目遣い!色気チラリズム!新しい扉が見えます!!)
(・・・・・鼻血出てます、・・メフィーの、ヘンタイ)
(こ、コレが俗に言うツンデレ!?もう一回お願いします!)
(わたし、イロイロまちがった気がします・・・)
メフィストに倫理なんてティッシュに包んでゴミ箱に投げ捨てる位どうでもいいんだろうな、とか信じて疑いません。
美少女好き公言してるあたり、無いだろう。
アニメの歌を空で歌えたり、踊ったりできそうな羞恥心とは無縁そうな彼に今回鼻血拭かせましたが悪意はありません。
・・・・・本当ですとも!!