歪みが堕とした御伽噺
その目に映るワンダーランド

ある日 ある所で 小さな女の子が生まれました。
産声を上げずに生まれた女の子は 誕生した時から真っ赤な目を見開いていました。
なぜなら女の子は 生まれた時から『心が完成』していたからです―――。

「・・・うん?」

メフィストは視線に気づき振り返った。
己が多く経営し、もしくは援助しているうちの一つである養護施設は身寄りのない子供の為にある。
元来多忙の身であるメフィストがここに姿を晒す事はいわゆる仕事の一環で、厳密に言えば施設の視察が根本にある。

そんな、ただの仕事に赴いただけの彼が一つの視線に気を取られて振り返ったのは、ソレがとても強いものであったから。
既視感とでも言おうか、刺す様に注がれるソレは無視をするには彼の好奇心が否としなかった。

「・・・・・」
「・・おや?」

おとぎ話の王子様と道化の間を取ったようなメフィストの姿は、好奇心旺盛な子供達の目を輝かせ、自己を確立しつつある少年少女には不審さを抱かせる。
そんな彼を見て前者も後者もない、感情も感動も込めない深紅が真っ直ぐ男を見詰めていた。
その愛らしい容姿は年齢相応だろうに、落ち着いた、落ち着き過ぎたたずまいは明らかに年不相応。
そしてその身に隠しきれない甘美な香り。

メフィストが興味を引くには十分だった。

「こんにちわ」
「・・・はじめ、まして」

幼女と視線を合わせるようにしゃがみ込み、真っ白なシルクハットを取った。
ただでさえ長身故、しゃがみ込んでも相変わらず彼女を見下ろす位置にいた事にその小ささはより拍車を掛ける。
広がった視界に映る愛らしい頬は血色がいいとは言えず若干青白い。
まつ毛に縁取られた瞳は困惑に揺れていたが、すぐに元の平静さを取り戻す。

そしてメフィストの明るい緑色が血色の大きな瞳を捉え、―――背筋が泡立つ感覚を覚えた。
無感情な瞳で見上げた娘は、桜桃の様な唇で小鳥がさえずるように、

「どうして?」
「・・・」

いっそ無垢と言える丸い深紅で、単調な疑問の声を上げた。
紅葉の様に未発達の手の平をメフィストの頬に添えるギリギリのところで静止させ、そこに見えない膜があるかのように彼の輪郭をなぞる。
静かな感情、見えない真意。本来幼児が持ち得る筈の無い物を確かに彼女が持っている事を感じ取った男は緩やかだった作り物の笑みを、狂喜に変えた。
口元にしかなかった取り繕った笑顔を、面白いものを見つけた喜びの笑みに変え、

そして、疑問を口にした彼女の次の言葉は、彼の本来の性質を呼び起こすには十二分だった。

「どうして『ふつう』の振りをしているの?」
「・・・はい?」
「・・・ヒトじゃないのに、どうしてヒトの振りをしてるの」
「・・っ!」

ゾクリと背筋を痺れる何かが走った気がした。

それと同時に、メフィストはこの娘を欲した。
静かに己を捉える深紅の瞳、たおやかな感情、華奢な肢体。
全てを見通しているなどある筈が無いのに、見抜かれているようなその存在感。
幼女らしくない娘。
人らしくない人間の小娘。

異質。

だからこそ、メフィストはたった一度の逢瀬に運命を感じた。
信じてもいないそれに、名前を付けるとしたらそれが最もなじむ言葉だと。

「・・っくくく!あっはははは!!はーっはっはっはっ!!」
「!?」

狂喜、嘲笑。
一気に流れて来た感情と「運命」などと言う下らない戯言を抱いた自分自身の人間臭さ。
ソレを生み出した小さなか弱い存在。
たった一瞬とはいえ、愚かなまでに自身を乱してくれた存在。

笑い過ぎてよじれそうになる腹を片手で抱え――もう片方の手はハットを手放していない――て、涙まで滲んだその目で再び幼女の姿を視界に捉えた。

「・・・・・・・・」
「・・ふくくっ」

爆笑した己をいぶかしむも不審がる事もなく、じっと相手がどういう者であるかを観察する真っ直ぐな目だった。
愚直と言うには幼さを欠いたソレを見、再び笑いが込み上げた。

「普通・・普通ですか。なるほど興味深い」

普通の振りをしているかと問うている彼女自身もまた、「普通」とは離れた存在であろう事に気づいているのだろうか。
ソレはそれで愚かしいながらに、その未熟さに不安定な魅力を感じる。

「・・・ファウスト、さん」

桜桃の唇が再び開く。
己のメフィスト・フェレスの仮の名を発した抑揚の乏しい声音に若干笑いが引いた。
腹に抱えていた腕を解いて、手袋の嵌め込まれた手の平で幼女の頬を包む。
大人の男の手の平では彼女の頬を包むには大きすぎる。

「私の名前を知っているんですか」

彼女はゆっくりと首を縦に振り、「ヨハン・ファウスト五世、・・さん」とそこだけ拙く答えた。
幼女なら聡いだろう回答だが、その拙さはミスマッチに思えてメフィストの興味は尽きない。
その異質な性質故に彼女が他者との接触から遠ざかっていたのだと思えば、その対話の消極性にも納得がいく。

「では、自己紹介をしましょうか。貴女のお名前は?」
「・・・・・・・です」
ちゃん。いえ、さんですかね」

目を細め、艶のある笑みをたずさえて、手袋越しに触れるマシュマロの頬を撫でた。
子供にするには艶のある仕草は傍から見れば異様だが、彼女の真っ直ぐな目は変わらない。
これが数年後の姿であれば、もしかしたらメフィストの嗜虐心を煽りその衝動に任せていたかもしれない。

「貴女は可愛らしいですね。真っ直ぐでありながら歪みを抱えている。いやあ実に、」

魅力的だ。
幼児に似合わない、しかし彼女にしっくりくる表現。

「魂と体が歪んでいる。だからこそ、私の質を見極められたのでしょう」
「・・・そう、かもしれない。でも、だから・・どうしたらいいのか、分からない」
「・・・・ほう」

なるほどと納得して、メフィストはその目に喜色を滲ませた。

この世に生を受けて数年の身と、それ以上の幾年を経た様な心が共存するという歪み。
本来であれば身体か精神のどちらかが、もしくはその両方が崩壊する危険性を孕んでいるというのに。
精神をそのままに抱えながら、自分の異質を享受した上でそれに悩むというのは当たり前の様で奇跡に等しいのだ。

産まれたての生き物は本能に忠実だ。
前世の記憶を持って生まれる人間は存在していても、それは精神がある程度熟した後にふと蘇るものである。
本来心と言うものは一から培われて然るべきもの。
そうでなければ人間という元が不安定な生き物は繁栄しえない。忘却があるからこその正気。

始めから『完成した心』というものがあるとすれば、ソレは異質であり摂理から外れたものだと言っていい。

しかし現にソレはメフィストの目の前にいた。
摂理から外れた異質であり奇跡でもあるソレを。

「わたし、自分は、他と『ちがう』ことだと知ってる。でも、あなたみたいに『ちがう』のに『ふつう』のふりをしながら生きる方法を、知らない」

深紅に初めて見せた悲壮。
とつとつと語られる小鳥のさえずりは、彼女の短い生の中で抱えて来た苦悩や未来への不安だ。
もしここが養護施設ではなく、彼が所属する正十字騎士団という組織の中で交わされた会話であれば、彼女の言葉ももっと意味合いの違うものとしてとらえれていただろう。
―――それを耳にした第三者がエクソシストであったならば、恐らくは『危険』という札を掲げられた人形となり果てる。

無知だからこそ打ち明けられた心。
ソレがメフィストであったからこそ彼女は打ち明けた。

―――それが彼女にとって真に『良かった』ものであったかは、また別だが。

「なるほど。魂と身体の歪みが貴女の『見えざるモノを見る目』を覚醒させたと言った所か」
「・・・・あなたはカラダとココロが重なっているのに、時々『あふれる』の。わたしもあなたも他とは『ちがう』けど、わたしとあなたは『おなじ』じゃない、それは、分かる」

再び背筋にゾクリとしたものが蘇える。
彼の本質を表す言葉を知らない娘。しかし彼女の的を射た答えは、その見極めの上質さを物語っていた。
己を見上げる怯えの無い表情は、無知ゆえの好奇心か。

しかし『異質な心』を持つ彼女が、知らないモノ・分からないモノへの警戒を抱かない筈がない。
それは、すなわちメフィストに対して怯えも警戒も必要のないものであると思っているという事ではないのか。

悪魔であるメフィスト・フェレスを見て、は警戒を抱く必要がないと無意識に判断しているとでも言うのか。
悪魔とは何か、異質とは何か、カトリックを信仰しているこの養護施設で育って知らない筈がない。

―――だとしたら、この真白に歪んだ心は人にも悪魔にもなれるのではないか。
―――不安定さは実に人間らしいにもかかわらず、人間と呼ぶには不釣り合いの魂を享受し己が異質と謳う。

「ならば、」

ならば、悪魔の檻に閉じ込めたら彼女は悪魔となりえるのか。
人の檻で育った彼女が人間に染まりきれない様に、その魂は真白に歪んだままなのか。

「分からないのならば、私が教えてあげましょう」
「・・・えっ」
「貴女の目に映る私を刮目すればいい」
「・・・・・あなたを」
「私の世界を見せてあげますよ。美しいその深紅の瞳に焼き付ければいい」

好奇心から興味へ。
幾星霜を人の中で生きて来て多くの異質を目にしてきた彼が、手元に置きたがった生き物。

「それは、わたしを引き取るって・・こと?」
「そういう事になりますね!」

小首をかしげる娘に歯を出して笑った。ウィンクのおまけつきで。
星が舞いそうなコミカルな仕草に、血色の瞳は驚愕に大きな瞳を丸くさせた。

頬に変わらず当てられた、二周りも大きな手の甲に紅葉の手を添える。
きゅっと掴んできた指先は見た目相応に弱いものであったけれど、その深紅はやはりまっすぐに己を見返して。

「・・・、と・・」
「はい?」

桜桃の唇でさえずる。

「ひろったからには、ちゃんと育ててください」
「・・・・・・・ぶふっ!!」


―――ああ、まったく本当に。

―――面白いものを拾ってしまったようだ。

メフィストに一目惚れしたと言っていいです。
なんか、第一巻から目が離せなかったです。あの人・・悪魔?
執筆した時期が時期なので原作沿いは未定ですが、アマイモンや獅郎との絡みなら可能な気がする。
年齢設定上『光源氏計画』とか犯罪臭い臭いがしますが、そこは目をつぶってくれるとありがたいです。