歪みが堕とした御伽噺
アリスの不可思議ロジック

ヨハン・ファウスト五世、もとい本名メフィスト・フェレスのもとに暮らし始めてから、のこれまでの狭い世界は徐々に広がりつつあった。
敬遠されてばかりの視線の中で過ごしてきたにとって、真っ向から己と顔を突き合わせ、その手に触れ頭を撫でてくれるような存在は彼女に、望まなくともあらゆるものを与えようとしてくれる。

否、恐らくは与える事で彼女の成長を促す。根本にはそういう単純な理由があるのだろう。
そして生来の聡さからがそれに気がつかない筈がない。
それでもは甘んじてソレを受け入れ、むしろ自分の身体に知識や経験を重ねることをよしとした。

―――結果、それが切欠だったのだろう。

「メフィーは悪魔、なの?」
「―――は?」

口元に運ぼうとしていたティーカップがぴたりと止まった。寧ろ、固まったとでも言おうか。
理事長職の仕事が一段落したのを期に、最近引き取った可愛い幼女とのティータイム(きっかり3時)をしていた所だったというのに。
その空気を一転させたのは、紛れもなくその幼女だった。

「あの、もう一度聞いていいですか?」
「メフィーは悪魔?」

不意をつかれて丸くなったうぐいす色の双眸は、真横でソファに華奢な身体をちょこんと乗せたをマジマジと映した。
手足も短い身体はソファの縁で足をぷらぷらとさせて、ソーサーの無いティーカップは紅葉の両手の中だ。
前髪を頭の上で止めて、いつもよりハッキリとした深紅の大きな瞳は何の感慨もなく、寧ろ純粋な疑問を問うたように真っ直ぐ見返している。

「アリス、不思議の国に悪魔は登場しませんよ?」
「・・・わたしです。それにこの格好はメフィーのせい」

は半眼になって、膝の上で両手に抱えていた紅茶をコクリと飲んだ。
某不思議の国の少女の様なピンクのエプロンドレスを纏ったの恰好は、メフィストのチョイスである。
あまりにも似合っていた為、デジカメで彼女を撮りまくったのは今朝の事。
を解放した頃には妙にぐったりしていた気がするが、まさかその時の仕返しにそんな事を言い出したのだろうか。

「良いじゃないですか。すごくよく似合ってますよ!ピンクのアリス!」
ピロン☆
「言いながら、なんでまたケータイでとる?」
「物事は常に楽しんで捉えるべきですよ!ハイチーズ!」
「ぶい」
「おおっ、ノリがいいですね!デレですか?デレですよね?!」

呆れながらもピースサイン出してくれるが可愛くて、また鼻血が出そうになったのは秘密だ。

しかし、だとしても断定的な言い回しだ。
そもそも精神成長が著しいこともあって、不確定で曖昧な事を面と向かって尋ねるような娘ではない。
メフィストが「人間」ではない事は一目見て知られているのだから、「悪魔」と確信を得るようなこのがあったのだろう。

「(まあ、事実ですし、そもそも隠してもいない。言わないだけで)」

むしろ、自分で調べて行き着いた結論に達した事に感心すれど不快ではない。
これも「歪み」の産物と言ったところか、本当にこの子は賢いなあと思う程度だ。

「それで、私が悪魔という話ですが―――」
「じしょで調べました」
「・・・・・はい?」

拙い単語で、一瞬何を言っているのか理解しきれず笑顔のまま固まった。(本日二度目)
じしょ・・辞書と言ったかこの子は。んな馬鹿な。
隣でくりんとした無垢の目がメフィストの動揺を映して首を傾げる。
自分は変な事でも言っただろうかと言いたげだが、まさしくその通りであることに本人は気付いていない。

「メフィーはこーじえんにものってます」
「・・・・・それだけですか」
「だけです」
「えぇー?」

ちょっとがっかりですと言いたげに小さな頭に手を乗せたメフィストは、の飴色の髪を指に絡ませながらじっと見下ろした。
「他にはないんですか」と、それ以上の回答を望み、ねだる様に深い黄緑の双眸を細める。
幼女に向けるには不相応などろりとした欲に、しかしはじっとその視線を受け止めた。

「だって、そうじゃないとメフィーが可哀想」
「・・・はい?どういう意味でしょう?」
「昔、ヨハン・ファウストがショーカンした悪魔がメフィーでないなら、どうしてあなたの名前は、めふぃしゅ・・と・フェレスなの?」

一体何が可哀想だというのだろうこの子は。
そして拙い呂律の所為で分かりにくいが、つまり・・・、

「「ヨハン・ファウストが召喚した悪魔の名がメフィスト・フェレスで、私と同じ名前。だから同一人物(悪魔)でないなら、私は何者だ」と、言いたいのですね?」
「ちがう!」
「ええっ?」

声をあげてバッサリと否定された。
え、私怒らせるようなこと言いました?と、メフィストを困らせる幼女(推定5歳)。
しかし悪魔はこのやり取りにようやく面白さを見出し始めたようで、期待に目を光らせた。

「後半ちがいます!メフィーが悪魔じゃないなら、悪魔の名前をつけられたメフィーは可哀想です!悪意をかんじます!」
「わ、私の名前に・・悪意・・・ぶふっ!」

面と向かって本人に言う言葉ではない。この幼女はそれに気づいているのだろうか。
むしろ、堂々とそう言い切ったからこそメフィストの機嫌も良くなったのだから、結果的には良かったのだろう。
落としてから持ち上げるとは、この子やるではないかと変な方向に感心してしまう。
斯く言うメフィストの笑いのベクトルも変な方向に向いているが。

「メフィーなら、自分に悪魔の名前つけてもありえるなっておもうけど、なら偽名はいらない。むしろ今の偽名と本名、逆につけるとおもって・・」
「・・・っははは」

なるほど、とメフィストは納得した。
たかが本の記述を真に受けただけかと思いきや、そこから湧き出た矛盾を指摘されるとは思わなかった。
しかし本は本だ。ソレが真とは限らない。
がメフィストの身体と魂の歪みを見分ける目さえなければ、ただの知識にすぎなかっただろう。

「(しかし勘は良い。実に、)」

目の付けどころが違う。良い素質だとメフィストは確信した。
そして御褒美にと言うように、その額に口づけた。
星がつきそうなウィンク一つして、よくできましたと頭をなでてやる。

額にキスをされたはポカンとして、いったいこの道化の様な男に何をされたのかを理解しきれていない風だった。

「おやおや」
「ちゅう、した?」
「しましたねえ。奪っちゃった!」

ばちーんとウィンクを飛ばしたメフィストは上機嫌で隣のの腰に手を回し、ひょいと自分の膝の上に乗せた。
彼女が持っていたティーカップは落とすと危ないのでさり気なく取り上げる。

白衣の道化師の膝にちょこんと乗った幼いアリスの図が完成。
犯罪臭い気がしないでもないが、シュールな光景を突っ込める人間は残念ながら存在しない。
膝の上のアリスは嫌がる様子もなく、寧ろ落ちない様に腰にまわされた腕にしがみついている。

「メフィーは悪魔・・」
「恐ろしいですか?」
「こわくない」

楽しげに肩を揺らすメフィストを見上げるの目に恐怖は無い。
ソレがどういうものか知らない筈がないのだから、彼女の真っ直ぐな目は真実だと語っていた。
出会ったときと同じ目で、さも何故恐れなど抱く必要があるのかと、まるでこちらが問われているようだ。

「メフィーは否定も肯定もしないのね。悪魔だから?」
「ふはは!!なるほど確かにそうかもしれません!」
「わたし変?」
「変ですねえ。ですが、それは「普通」という枠に収まる場合です」
「?」
「私もも「普通」ではないでしょう?」
「・・そっか。うん!」

小さくとも初めて微笑んだにメフィストは頬が緩んだ。
飴色の頭に頬ずりしたい衝動に駆られたが、その前に幼女がさえずる方が早かった。
テーブルに並んだお茶受けを指差して、うぐいす色の瞳を仰ぐ。

気分も良くなった事ですし、今日しばらくはこのお姫様の相手をするのも良いだろう。
そうは思っていても、自身がメフィストに率先して構う事はほとんどないのでメフィストが彼女を振り回す事になるのだろうけれど。

「メフィー、マカロン、あのオレンジいろ」
「仰せの通りにレディ」

膝の上で抱える彼女から両腕を離さないまま、メフィストは初めての目の前で魔法を使った。
マカロンがつまったバスケットがふわりと浮かびあがる。
唐突に起こった不可思議な現象にの肩は一度ビクンと撥ねあがり、その反応に気を良くした男がクスリと笑う。

ふわりと眼前に差し出された色とりどりに菓子を見て、はきょとんとしたまま楽しげな道化を見上げた。

「まほう・・・」
「私の特権みたいなものです」
「むう」

悪戯が成功した事を喜ぶ悪魔は、してやられたという顔の幼女に頬ずりする。
驚きはしても、魔法を見てもこの幼女はやはり怖がりはしない。
その事実に更なる面白さと嬉しさと、その顔はどうしたら歪むのだろうかという嗜虐心がない交ぜになる。

「・・・・メフィー?」
「はい?ぅむ?」

ふよふよと浮かぶマカロンを一つとっては手にしたソレを相手に口に圧しつけた。
悪意の欠片もない唐突な行動によって、されるがままのメフィストは自分の口に押し当てられたのがピンク色のマカロンである事に気づく。
甘ったるい苺の芳香が鼻をつき、その奥には苺色の双眸がくりんと瞬く。

食べろという事なのか、と思い至ったメフィストは口を開けてソレを食もうとした。
随分強制的な「あーん」だなあと思って。
しかしすんでの所でマカロンはメフィストの口から離れ、それは幼い幼女の口の中に消えた。
小さな口が、マカロンの一部を食み黙々と咀嚼して。
こくんと嚥下するのを見届けて、メフィストの可愛い小鳥は視線を反らしながらさえずった。

「う、うばっちゃった・・?」

「・・・・・・・・・・・・・え」

メフィストの中でいろんなものが瓦解した音がした。


―――その日、正十字学園の理事長が出血多量を理由に仕事を休んだ事は、教師間の噂である。



(メフィーは血の色も赤いのね。悪魔って青い血が出るとおもってた)
(私は吐血しても介抱してくれる貴方にどうしようもなく萌えました。どうしてくれるんですか)
(かってに燃えてください。そのまま煩悩灰になってください)
(デレてください)
(イヤです)

こんなはずではなかったorz
思ってた以上にメフィストが変態(馬鹿)になり下がった・・・。
あれ、この悪魔もうちょっと紳士然としてたよね。
ロリコンを公言出来ても、もうちょっと理性はあった筈・・・。
まあ、いっか悪魔だし、―――ぶふっ(撲)
追記:メフィストが辞書に載ってるのは事実です。自分でも調べて「おおー」ってなりました。